前原土武(トム吉)の災害支援活動ブログ パート2

日本各地で起こる自然災害の復旧・復興の姿を綴るブログ

体制作り@JVOAD

体制作り@JVOAD

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”打ち合わせ@JVOAD”

 

 定期的に上京している私ですが、目的はJVOADとの打ち合わせの為だ。東日本大震災から災害支援する私は、これまで各地で20ヵ所以上の現場に足を運び支援活動してきた、中には一年以上被災地に滞在し仮設住宅への支援を行ったり、その地から離れても予定を組み毎年1~3回は訪問するようにしている被災地も多くある。
 そうしてフェーズを考え被災地で支援活動を続けてきた中で、圧倒的に支援力が足りないことを気付かされたのは、熊本地震だ。前震・本震と二度に渡り震度7地震が襲った熊本では、益城町熊本市益城町西原村・南阿蘇村とざっとあげても17市町村もの自治体が被災した広範囲の地震災害であった。
 本震を益城町で受けた私は、その時から支援活動を開始しつつバイクで各市町村を走りながら、被害状況の把握や支援団体との情報共有しながら、県庁内で行われる情報共有会議に出席する日々を約3ヶ月ほど毎日の様に走り続けた。しかし、支援団体の連携もなかなか出来なかったり、そもそも入る支援団体がいなかったりと熊本地震では国内の支援団体の課題が大きく見えた災害になりました。

 

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”勉強会に参加@内閣府

 

それから3年。平成29年7月九州北部豪雨平成30年7月豪雨と二年連続で大規模かつ広範囲にわたる水害が日本国内で起きました。熊本地震から自分自身の活動のキャパに嫌気がさし、個人から組織に切り替え活動範囲を広げてきた私ですが、それでも色々な限界にぶち当たりました。そして去年は広範囲という被災地に対して3つの拠点を設けて活動をした。しかし、それでも出来なかった事の方がまだ多く、反省し新しい取り組みを始める必要性を感じた一年でもありました。

 

懇親会@内閣府

”懇親会@内閣府

 

 そこで災害NGO結は、一つの組織として直接支援に力を注ぐことから少し距離を起き、今後数年間は中間支援的な動きを意識しつつ現場を走りながら、被害状況の把握を務めながら支援団体の調整に力を注いでいきたいと思っています。
 自らの組織の事を考えるのではなく、もう少し俯瞰的に被災地を見ながら未来の為に今何が必要か?どんな役割が現在の支援団体に役立つのか?考えながら活動してきた。
 
 また有事の事を考え、平時の今仕組み作りが大切ですが、関係機関との顔の見える関係作りも並行して行っていかないといけないと思っています。被災した地域だけではなく、各地の被災地で顔を合わせる仲間と少しでも意識の共有が出来る事が、いち早くスムーズな支援につながると信じています。 
 これからも支援の形を変えながら、今後起こりうる広範囲災害に備え体制を整えていきたいと思います。

 

 

tom 

 

 

 

  

拠点作り@滋賀

拠点探し@滋賀

つばめの巣@岐阜

”つばめの巣作り@岐阜”

修理@岐阜

”お世話になっている仲間@岐阜”

 

 2011年9月の紀伊半島大水害の那智勝浦町での支援活動から幾度の被災地で共に支援活動を行ってきた岐阜の仲間の元へ 北上する流れで顔を出してきました。

 車の事からバイクの事や現場での重機案件など、これまでに沢山の場面でお世話になっている彼の背中はいつも大きく、本当に頼れる存在です。いつもありがとうございます。 今回も年末に自分自身の不注意でぶつけてしまった車の修理を行う為、岐阜に立ち寄り、今後の活動の方向性をお伝えしてきました。

福島への送りモノ@半人前

”各地から集めた福島保養への食材”

 

 また2012年から毎年夏休みや冬休みなど大型連休を利用して行われる各地への福島保養イベントに、主催や協力団体として関わっており、今回も石川県で行う保養に参加すると聞いていたので、九州や四国で集めてきた野菜や果物などをお届させてもらいました。

 年末など自分自身も時間がある時は、お手伝いなどに関わらせてもらう事があるのですが、昨年も被災地でバタバタしていた事もあり、最近では色々と協力出来ていない為、せめてと思い食材の支援をさせてもらいました。 こうして自分自身が出来る事で関われる環境に感謝です。 

 

訪問@琵琶湖

”拠点探し@琵琶湖”

バイオマス@滋賀

”頼れる仲間@滋賀”

訪問@高島

”新しいつながり@滋賀”

下見@仮拠点

”仮拠点決定@大津”

 

 また一昨年からずっと頭の片隅で考えていた拠点問題。これまで各地の災害が起きる度に移動し、次の被災地に移動を繰り返していた遊牧民生活の様な支援スタイルでは、活動の限界を感じており、この数年拠点を設けたいと考えていました。

 西日本を中心に毎年のように起きる水害。いつ何時起こるかわからない南海トラフ地震や首都直下型地震など、緊急支援に入りやすく、自分自身の被害を最小限に抑える為にはどこに拠点を置くべきか? 考えていた私が選んだ場所は滋賀でした。地図を広げ日本の中でだいたい真ん中の位置する滋賀県。県南の方に行けばそれほど雪の問題もない事を考えて、滋賀県の琵琶湖の南東辺りなんかはどうかな?と思いながら、昨年からうろちょろしていました。

 またどんな拠点が必要だろうか?災害支援とコミュニティーをどのようにして繋げる事が出来るのか? 過去の災害地で滞在しながら支援活動を行ってきたコトで見えた、地域のコミュニティーの大切さ。せっかく拠点を設けるのであれば、地域の防災に役立つ場所にしたいと考えています。

 そんな事を考えながら、今回滋賀に帰ってきてきた仲間(紀伊半島水害で出会った)の元に逢いに行き拠点探しのお話をしたら、ふっと空き家を借りれるお話になりました。感謝。

 これまで各地で出会った仲間たちの協力があり、今後の活動に繋がっている事を感じる事が多くなっている現在。改めて仲間たちの存在に感謝です。いつもありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。

 

紀伊半島大水害・・・2011年8月25日に発生した12号。発生後徐々に発達しながら北上し、四国地方へ上陸。その後も速度を速めることなくほぼ真北へと進路を取り、 中国地方を縦断し 日本海に抜けた。台風が大型で動きが遅かったため長時間にわたり周辺の非常に湿った空気が流れ込み、西日本から北日本にかけての広い範囲で大雨となった。中でも紀伊半島和歌山県奈良県三重県)に被害が集中した。

紀伊半島大水害(那智勝浦町)での被害と支援の様子→こちら

 

 tom 

関西の仲間たち@茨木ベース

関西の仲間たち@茨木ベース

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”朝礼@茨木ベース”

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”作業現場@茨木”

 

 大阪の茨木では、現在も仲間たちが関西を中心に仲間を集めて活動を継続しています。

 6月18日に起きた大阪北部地震やその後の台風被害で、沢山の屋根など被害をうけた大阪でしたが、一般のボランティアでは対応出来ない案件が多く、当初は厳しい環境が広がっていました。 

しかし、支援仲間でもあるレスキューアシストの武ちゃんを中心に大阪は茨城市に拠点を持ち、ボランティアの受け入れ、スキルアップ、講習会、新しい仕組み作りなどを行いながら、一軒一軒対応してきました。

 高速道路の無料化が切れたこの週末にも10人以上超えるボランティアの方の姿が集まり、被災者のニーズに対応していました。 

 

 屋根案件が多く、危険を伴う活動が多い地震災害の支援活動。コーディネートを行うメンバーの心情は本当に不安で怖い気持ちでいっぱいだと思います。 何かあれば、大きな事故につながる高所作業だけに、出来ればやりたくない気持ちでいっぱいだと思います。 それでも誰かがやらないといけないコトだと考え、彼らは自ら梯子を使い屋根に登っては雨漏りする屋根にブルーシートをかけてくれています。感謝。

 

 彼らの勇気ある活動に感謝とエールを送りたいと思いますが、どうかボランティアではなく、どうにか対応出来る仕組みはないかと考えてしまいます。

 

tom

 

ちょくちょく訪問@倉敷

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”訪問@Nセン”

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”再開したお店Felice”

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"久し振りの再会"

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”防災の件で打ち合わせ”

 

 東京に用事があり、移動がてらちょいと倉敷市に立ち寄ることにしました。

四月から災害ボランティアセンターの体制も変わり、登録型になり拠点も移動したという事もあり、ちょいとご挨拶。

 発災直後から現場で頑張ってきた支援仲間にも連絡し、お昼を食べながらお話をしました。

 

 災害支援に関わる方の中には、大きな組織から個人の様にフットワークの軽いチームまでさまざまです。

始まりは、災害ボランティアセンターを通して参加したメンバーでも、長く滞在をし始め、その後住民票を移し岡山NPOセンターの職員になったメンバーもいます。定期的に自分の仕事を行いながら、活動を続けている人もいたりと、被災地との関わり方は色々です。

 色々な出会いの中で、活動を続けてきたメンバー達は、各々でいろんなことを決断し選んできたこの数ヶ月だったのだと思う。 この数ヶ月で色々な事を学びつつ、沢山の経験を積んできた彼らは、以前とは比べて色んなモノの見方が出来る様になっているだろうし、色々な考え方をするきっかけを得た事も多かったと思います。

 

 そんな彼らとお話をしていると本当に凄いメンバーだなっと思います。

 

少し距離はあるかもしれませんが、そんな彼らとの出会い、関係を大切にしていきたいと思います。

 

tom

活動と旅の類似点

活動と旅の類似点

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"一昨年の被災地で頑張る仲間@日田市&朝倉市"

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”九州北部豪雨で出会った住民と仲間@阿蘇

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熊本地震で出会った地元の子育て支援団体@益城町

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紀伊半島で出会た仲間(当時中学生)”

 

2011年からこれまで私は被災地にいることが大半になっており、会議や打ち合わせ、講演など用事がない限りは各地の被災地に居た。

 他のかたには理解が難しいかもしれませんが、つまり東日本大震災からこれまで約8年ほど災害支援の活動のみを行ってきた人間です。 その点ではボランティアと呼ばれる支援者と少し異なるタイプなのかもしれません。

 2011年からかれこれ20ヵ所以上の被災地に出向き支援活動を行ってきましたが、支援活動を行う中で感じているコトの一つにこの活動は旅と同じ感覚があるという事。

 例えば被災地では、毎日の様に色々な方との出会いがあります。住民や支援者、支援団体など沢山の方とフラットの関係(利害関係のない)で出会い、つながる機会があります。また旅先の様に地域の食べ物や景色、文化といった一面と出会う場所でもあり、旅先と被災地の共通点には出会いがあります。勿論、あくまでも外部から入った支援者の目線です。

  

 災害支援を行っていると土砂出しや家屋のゴミ出し、炊き出しや避難所の作業を行っていると表面上は見えるかもしれないが、それを行う行為で沢山の出会いに結び付き、支援者、被災者の中で繋がりを感じる事が、その後の復興の一歩に繋がっていると思っています。災害以前には出会った事のない新しい沢山の出会いやきっかけを頂き、価値観が変わる事もしばしばあります。その価値観の変化が被災者にとって大切なモノになっているのだと思っています。

 

そんな出会いの縁をこれからも大切にしていきたいと思う。

 

tom

多言語支援の重要性

多言語支援の重要性

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 熊本地震の発生(本震)から今日で丸3年を迎えた熊本。 数日前から熊本入りしており、様々なフォーラムやシンポジウムが行われていたので、少しだけ顔を出してきました。

 その中でも近年、災害が起きた時に気になっている外国人の事をテーマにしているシンポジウムがあったので、半日お邪魔してきました。

 

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熊本市国際交流会館」では、熊本地震後、自主的に避難所を開設し熊本市内に住んでいる外国人の方が集まり、炊き出しや物資、語学支援などを行っていたそうです。

 会場では「つながり」をテーマに「小さなつながり」「大きなつながり」「広いつながり」を活動報告が行われていました。

  活動報告を聞きながら、改めて様々な方向から被災地を見る事が大切だと思いつつも、行政と同様に縦割りになっている事で発災直後には情報共有する事の難しさが見えたシンポジウムでした。

  • 「小さなつながり」(熊本地震経験プロジェクト
    当事者である被災した外国人のメンバーが自ら立ち上げ、日本特有でもある地震への恐怖や防災の大切さ、その後に分かった平時からの地域の方々とのつながりなど、経験をしたからこそ、この経験を周りにつなげて防災に役立てたいというお話
  • 「大きなつながり」(熊本市国際交流振興事業団
    今年から行い始めた総務省の多言語支援コーディネーター育成プロジェクトのお話や災害時多言語支援の重要性など、多文化共生の為の目線から他の市町村や県域、ブロックで顔の見える関係でつながる事が有事の際に多言語支援に結び付くお話
  • 「広いつながり」(くまもと災害ボランティア団体ネットワーク
    発災直後から始まった情報共有会議。その後通称「火の国会議」と名前が付き、現在も週1で会議を行っているKVOADからジャンルを超えてつながる事で、多種多様な支援に結びつけるきっかけに繋がる事や県外の支援者や企業、大学などと連携するきっかけになるというお話

 

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また活動報告を聞いた後はデスカッション・振り返りを行ったのですが、やはり平時の内から色々な情報を集める事が何よりも大切な事。またジャンルを超えて横のつながりをしっかり顔の見える関係にしておく事で、有事の際に情報共有を行えたり、事前の準備に繋がったりするのだと確信しました。

 日本では現在、少子化という人口減という大きな問題を抱えており、都心部や農家、漁業といった一次産業を行っている方、介護職など様々な面で人手不足が深刻化している。勿論、災害復興も同様です。東日本大震災を始め、各地で起こった被災地の復興には建築物の解体から建築まで沢山人の手が必要です。

 そんな中、最近メディアでもよく耳にする技能実習制度がある。外国人の受け入れし技能を移転するのが目的にしているが、もう一つの狙いは人手不足の為の、対策なのかもしれない。しかし、この制度は色々な方面から問題視する声も聞こえてきている。

 

外国人技能実習制度は、我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的

厚生労働省HPより引用)

  

有事の際は平時の社会の問題や課題が肥大化すると良く言われます。人手不足問題や外国人など語学や文化が異なった人種との共存も同時に問題になりかねません。

地震を経験した事ない外国人や日本語が読めない、話せない外国人など様々です。また文化によっては食生活や祈りや習慣といった問題もあります。

 ここ数年で、技能実習生や留学生など国内で大きく外国人を求めている流れがあります。実際、外国に数年いた私が日本に帰ってきた9年前ですら、外国人の姿が多くなったと感じるほどでした。沖縄出身で日本国内外を旅し色んな地域を歩いた私にとって、外国人が増える事に対してそれほど大きな問題だと感じていませんが、田舎や都会で生活している日本人の方が実際自分たちの身近な地域(田舎や都会)に外国人が住み、生活が始まったらコミュニケーションを取り共に理解し合いながら生活を行えるのかは疑問である。

 人手として受け入れるという事は、受け入れる外国人の文化も受け入れるという事だと思います。相手を知り、理解していなければ有事の際に共に助け合うのは難しいのだと思います。だからこそ、平時からお互いを知る事が大切。っという事で外国人など多文化かと交流に強い団体や関係機関とも今の内から顔の見える関係を気付き、連携出来る繋がりを作らないといけないと思いました。

 

 自治体国際化交流地域経済の活性化や多文化共生、人材育成といったあらゆる課題において国際的な視野に立った戦略・事業運営が不可欠であり、こうした自治体の国際化を支援するネットワーク

 

 

tom 

何より阿蘇が大好きだから。。。

何より阿蘇が大好きだから。。。

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”熊本城前にある加藤清正公の像”

 

私は毎年1,2回熊本に訪れるのだが、きっかけは2012年7月に起きた九州北部豪雨で阿蘇市に災害支援に入ってご縁だ。

 東日本大震災から始まった災害支援の活動だったので、2012年阿蘇市に入った時は今以上に経験も少なく、想い(パッション)と勢い(フットワーク)で現場を走り周りながら支援を行っていた気がする。実際に災害発生の翌日から被災地に入ったのだが、現地の社協や行政などとうまく対話しながら連携して活動とはほど遠い支援だった気がする。

 

 外部支援として入り、地元の支援者と仲良くなり、助けられながらも共に活動を行う事が出来たお陰で、約一年ほど阿蘇市で活動を行いました。

 仮設住宅に住んでいる方や地域の方とも交流を行うようになり、沢山の熊本の文化を教えてもらいました。支援が目的で滞在していたのですが、何よりも自分自身の中で長く滞在出来た理由の一つは、自然であり、阿蘇の景色でした。また食べ物や県民性が合ったのも一つの要因なのかもしれない。

 

◇九州北部豪雨の被害の写真→災害NGO結のFacebookページ

 

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”地元の支援仲間と作った家庭菜園には現在も沢山のお野菜が植わっていました。”

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”自宅にお邪魔するとお茶と一緒に漬物が出て来るのも阿蘇ならでは。”

 

 災害支援で知り合った住民、支援者とその後も定期的に顔を合わせていたのもあり、三年前の今日(4月14日)熊本地震の前震と呼ばれる震度7地震の情報が入った時は、知り合いの顔が浮かび茨城県常総市から熊本へと駆け付け支援活動に入る事にした。

 

熊本地震の発災直後のようす→災害NGO結のfacebook

 

 そして、そこから今日で三年。翌年には福岡県朝倉市で大きな水害が起きた事もあり、一時は離れる事もあったが、時間が出来る度に熊本でうろちょろしていた三年でした。 緊急期~復旧期~移行期と自分なりに被災地の課題を感じ、対応してきたつもりですが、時間が経過した今思い出したらあの時こうしてたらよかったのかな?あの時にもっとこうしていたらどうなっただろうか?など考えてしまう事が多くありました。 

 2012年の九州北部豪雨~2016年の熊本地震と熊本で起きた自然災害に対して、自分なりに向き合い寄り添ってきたつもりです。やったことで見えた事、行った事で感じた事、活動を通して毎回のように学び次の災害地への知見となり自分自身の活動の肥やしになっている。そう考えると支援に入ったつもりだったが逆に熊本から沢山のモノを頂いたのかもしれません。感謝。

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”外輪山から見た阿蘇五岳をバックにした阿蘇市の風景”

 熊本地震により九州北部豪雨で出会った知人も家屋に被害を受け、仮設住宅やみなし仮設などでの生活を送りながら、この三年間出来る事を行っていたのだろう。月日が流れるにつれ立場や関わり方も変化した仲間たち。顔を合わす機会も次第に減っていますが、あの時共に過ごした時間は大切な想い出であり、大切な経験です。

そうした縁をこれからも大切にしていきたいと思う。何よりも阿蘇が大好きだから、これからも何度も阿蘇に通いたいと思う。

 

tom