スタディツアー準備@宇和島
スタディツアー準備編
災害NGO結のミッションの一つに「伝える活動」がある。 被災地の支援活動を通して感じた事、学んだ事を少しでも多くの方にお伝えし防災や支援活動に繋げる事が、今後の未来に少しでも役立つのではないかと思っている。
そんな「伝える活動」の中で、昨年から始めプログラムの一つに過去の被災地へスタディーツアーするという企画がある。
「伝える活動」とは、被災地での支援活動で気付いた事や感じた事、学んだ事を被災地以外の地域や学校(小中高大学校)などで講演したり、被災地で過去の被災地の事例や経験値をお伝えしたり、過去の被災地へスタディーツアーなどをおこない伝える活動
”被害の様子@日田”
”被害の様子@杷木”
”再建に取り組み住民@杷木”
2017年7月に起きた九州北部豪雨で、支援活動に入った朝倉市。活動の中で出会った地元の支援者や隣町の日田市で支援活動を続けていたメンバーに、少しでも伝えれたらと思い。昨年(2018年)の5月に熊本県へ訪れるスタディーツアーを企画し、熊本市~益城町~南阿蘇村~阿蘇市と熊本地震の活動で出会い活動を続けている(当時)支援団体の元に出向き、活動で苦労した事や工夫している事などを直接お会いしお話を聞く一泊二日の企画を行いました。
”打ち合わせ@宇和島”
”資料@事前勉強会”
そんな昨年行ったスタディーツアーで出会った支援者たち(熊本、朝倉、日田)メンバーが、昨年被害を受けた宇和島に何度も足を運び支援活動をおこないました。
活動以外でお話をした事や一緒に食事を取ったことなどした事で顔の見える関係になった事は、多少は活動内で連携が生まれるきっかけにつながったと思っています。
”事前勉強会@宇和島”
”事前勉強会@宇和島”
昨年研修に参加した彼ら(日田や朝倉メンバー)が、今回は宇和島の方々をお招き自分たちの活動を紹介したり、変わりゆく地域の様子をお伝えする企画を行っています。
また約半年以上に渡り愛媛に滞在し中間支援の役割を行っていた仲間も、宇和島入りしていた事もあり、共に朝倉に行く事になり、昨年のスタディツアーに寄り近いメンバーで行う事なりました。
支援で繋がったこうした縁を大切にしていく事、各団体で何かを行うのではなく、連携し共に考え、前に進む姿を伝える事も外部から支援に入った支援者の大切な役割だと思っています。
また受け入れる事で、見えなかった事も見えるきっかけに繋がる事も多いにあると思い、九州の受け入れる立場のメンバー、宇和島から学びに行くメンバーと双方にとって有意義な時間になると思います。
来週14日から始まる二泊三日のスタディツアー、出しゃばらない程度にサポートしていきたいと思います。
tom
被災地へ訪れる@朝倉
被災地へ訪れる@朝倉
福岡県朝倉市をご存知ですか?柿や梨、ネギなど農産物が有名で、福岡県と大分県の県境に位置する朝倉市。2年前の九州北部豪雨での大きな被害を受けた事により、発災直後から支援に入ったことでその後も深くかかわる様になった。
”山に登る車道も未だに崩れている場所も@朝倉”
”大きく崩れた山肌@朝倉市”
”少しずつ進む河川工事@朝倉”
甘木市、朝倉町、杷木町の市町村の合併で13年前に生まれた朝倉市。二年前の水害は市内の各地で浸水被害、土砂崩れなど複合的な被害に見舞われました。中でも旧杷木町では、いくつもの集落が大きな被害を受け、集落の危機を迎えている地域もあります。
発災から二年目を迎えた今年も山が崩れ、いくつかの地区では被害が出ました。九州大学の先生の展開では、約10年は土砂が流出するだろうという見解も言われています。
”杷木地区を中心に活動する@杷木ベース”
”現在も活動中@農業ボランティアセンター”
”運営をサポートする@杷木ベース”
”GWは各地から参加してくれた@杷木ベース”
そんな被害の大きかった朝倉市では、細く長く継続的に支援活動を行う事を掲げ、地元で立ち上がった団体がいくつかある。その中でも、立ち上がりから関わっている杷木ベースでは、現在も支援仲間たちが力を合わせ、外部から参加してくれる支援者を受け入れ、地元の方と共に色々な企画を進めています。
一年前に立ち上げり、右も左もわからない中で始まった地元の支援者たち。自分たちのペースで運営し継続的に活動している姿は、外部支援で現地に入った私から見ていると嬉しい存在です。
それと同時に、地元支援者として地域の方と共に歩む存在は、見てて苦しさも感じる事もあります。外部支援として入った私たちは、ある一定の時期が来たら地域との距離を持ち、関わり方が返る事が出来ますが、地元で立ち上がり活動している彼らは終える事が難しい環境の中で続けている事のプレッシャーを感じます。
支援を続ける事の不安や難しさ、支援者を受け入れる事で気にかけないといけない事が多くなり、逆にやる事や資機材などの存在など、これまで各地で支援活動を行ってきた私だからこそ、色々なモノが見てきます。 それでも活動を続けている彼らの存在は被災した地域の方にとって何よりも大きな存在だと思います。
災害により被害を受け、色々な課題が生まれそれを解決に向き合っている住民にとって、解決に結び付くかわからないけれど、共に現状と向き合い側に居て相談出来る存在いうだけでも、大きな存在だと思います。現に拠点に一日居ると色々な地域の方が顔を出したり、差し入れを持ってきたりと、地域に根付いた存在であるのは確かです。
災害支援に入って事で、出会った仲間、地域の方々とは、直接支援を行わなくなったとしてもこれかも関わり続けていきたいと思います。
tom
人それぞれのGW@九州
人それぞれのGW@九州
2011年の東日本大震災以降 GWの様な大型連休は基本被災地に居て、ボランティアの受け入れなどをしてきた。実際今年も直接ではないがボランティアの受け入れをおこなっている訳ではないが、宇和島市や朝倉市にいて支援仲間と共に今後の活動のお話やさまざまな体制の整理などをおこなっていた。
”夕日@宇和島”
”キャンセル待ちでどうにか乗車@フェリー”
”車中泊でいっぱいの道の駅@湯布院”
宇和島市~朝倉市までフェリーを使い渋滞を避ける為、夜の時間を使用し移動したのだが、普段あまり混まないフェリーも途中にあった「道の駅」の駐車場も車でいっぱいの状態。世間では10連休という大型連休という事もあり、普段仕事などで遠方に出かける事が出来ない方も多く、観光地はごった返すのではないかと予想はしていたので案の定、道の駅もいっぱいになっている状態を見て、色々と思う事がありました。
東日本大震災以降、約8年間各地の被災地で車中泊しながら活動をする私が言うのもなんですが、道の駅の駐車場にはキャンピングなど何台も止まっていましたが、軽自動車や乗用車など様々な車が止まっており、車中泊をしている様子でした。あくまでも私の想像だが、日々都会で忙しく仕事をする人たちがこうしてGWという連休を使い旅行をしているのに、車中泊をしないといけないのだろうか?せめてこんな時はホテルや旅館に泊まって連休を満喫したらいいのにと、毎日車中泊している私は思ってしまう。世の中では貧困や格差社会が付いていると言われる日本で、この大型連休を使い、金銭を気にせずに楽しんでいる国民はどれくらいいるのだろうか?など、思ってしまう。
”農業ボランティアに参加する支援者@朝倉”
”杷木復興支援ベースに集まる支援者@朝倉”
一方2年前大きな被害を受けた朝倉では、現在も沢山の支援者が集まり、暑い中汗をかいていました。
勿論、あの日から継続的に受け入れをおこなう支援団体が居るからこそ、現在もこうして沢山の方が参加してくれています。中には、宇和島や茨木などでお逢いした方も居られたり、2年前の朝倉で活動していた時に出会った方など様々です。
九州各地から山口、大阪など各地から連休を利用して参加した支援者たちの姿を見ていると時間の使い方は人それぞれだなと思います。支援に参加した方が偉いとか旅行をしている人がどうだとか、言いたい訳ではなく、使える時間はすべての人に平等であり、後は一人独りが選択する自由だけがあるのだな~っと各地から参加した支援者たちの姿を見て思いました。
あなたはどんなGW(時間)を選びましたか?
tom
中間支援を考える@岡山
中間支援を考える@岡山
"中国5県で行う中間支援の為の勉強会"
”シンポジウムの午後の部はワークショップ”
昨年の西日本を中心に被害を受けた「平成30年7月豪雨」では、広範囲に渡り被害が広がり改めて、団体間の情報共有を行い連携し支援に当たる必要性をこれまで以上に感じました。情報共有をする為にも、各団体が連携する為にも、それを繋ぐ中間支援の存在が必要不可欠です。
そんな有事の際に中間支援の組織が連携する為にも、平時の今から顔の見える関係を作り、お互いの持っているリソースを確認し合っている事、勉強しあう事、つながりを再認識する子事は大切な事だと思います。
”懇親会も大切な交流の場@岡山”
”顔の見えた関係者との交流@岡山”
日中のシンポジウムで学んだ事も大切ですが、つながった関係を太くする為にもお酒を交えながらも懇親会を行う事もまた一つ大切な場だと思います。 各地の団体の活動の紹介を聞いたり、どんな事が悩みだったり、どんな取り組みに力を入れているなど、食事をしながらつながりを深める事で、有事が起きた時に連携しやすい状況が生まれると思います。
”今後の体制の為の打ち合わせ@岡山”
また、先日も東京で打ち合わせをしたJVOADの事務局と翌日のお昼から待ち合わせをして、本格的に連携する中身を確認しました。 お互いの見てる先、必要な動きや求めているモノ、自分の存在ではなく、未来を見据えて自分たちが何を行っていかないといけないのか?本音でお話をすることが連携して行くはじめのステップだと思います。
tom
体制作り@JVOAD
体制作り@JVOAD
”打ち合わせ@JVOAD”
定期的に上京している私ですが、目的はJVOADとの打ち合わせの為だ。東日本大震災から災害支援する私は、これまで各地で20ヵ所以上の現場に足を運び支援活動してきた、中には一年以上被災地に滞在し仮設住宅への支援を行ったり、その地から離れても予定を組み毎年1~3回は訪問するようにしている被災地も多くある。
そうしてフェーズを考え被災地で支援活動を続けてきた中で、圧倒的に支援力が足りないことを気付かされたのは、熊本地震だ。前震・本震と二度に渡り震度7の地震が襲った熊本では、益城町・熊本市・益城町・西原村・南阿蘇村とざっとあげても17市町村もの自治体が被災した広範囲の地震災害であった。
本震を益城町で受けた私は、その時から支援活動を開始しつつバイクで各市町村を走りながら、被害状況の把握や支援団体との情報共有しながら、県庁内で行われる情報共有会議に出席する日々を約3ヶ月ほど毎日の様に走り続けた。しかし、支援団体の連携もなかなか出来なかったり、そもそも入る支援団体がいなかったりと熊本地震では国内の支援団体の課題が大きく見えた災害になりました。
”勉強会に参加@内閣府”
それから3年。平成29年7月九州北部豪雨~平成30年7月豪雨と二年連続で大規模かつ広範囲にわたる水害が日本国内で起きました。熊本地震から自分自身の活動のキャパに嫌気がさし、個人から組織に切り替え活動範囲を広げてきた私ですが、それでも色々な限界にぶち当たりました。そして去年は広範囲という被災地に対して3つの拠点を設けて活動をした。しかし、それでも出来なかった事の方がまだ多く、反省し新しい取り組みを始める必要性を感じた一年でもありました。
”懇親会@内閣府”
そこで災害NGO結は、一つの組織として直接支援に力を注ぐことから少し距離を起き、今後数年間は中間支援的な動きを意識しつつ現場を走りながら、被害状況の把握を務めながら支援団体の調整に力を注いでいきたいと思っています。
自らの組織の事を考えるのではなく、もう少し俯瞰的に被災地を見ながら未来の為に今何が必要か?どんな役割が現在の支援団体に役立つのか?考えながら活動してきた。
また有事の事を考え、平時の今仕組み作りが大切ですが、関係機関との顔の見える関係作りも並行して行っていかないといけないと思っています。被災した地域だけではなく、各地の被災地で顔を合わせる仲間と少しでも意識の共有が出来る事が、いち早くスムーズな支援につながると信じています。
これからも支援の形を変えながら、今後起こりうる広範囲災害に備え体制を整えていきたいと思います。
tom
拠点作り@滋賀
拠点探し@滋賀
”つばめの巣作り@岐阜”
”お世話になっている仲間@岐阜”
2011年9月の紀伊半島大水害の那智勝浦町での支援活動から幾度の被災地で共に支援活動を行ってきた岐阜の仲間の元へ 北上する流れで顔を出してきました。
車の事からバイクの事や現場での重機案件など、これまでに沢山の場面でお世話になっている彼の背中はいつも大きく、本当に頼れる存在です。いつもありがとうございます。 今回も年末に自分自身の不注意でぶつけてしまった車の修理を行う為、岐阜に立ち寄り、今後の活動の方向性をお伝えしてきました。
”各地から集めた福島保養への食材”
また2012年から毎年夏休みや冬休みなど大型連休を利用して行われる各地への福島保養イベントに、主催や協力団体として関わっており、今回も石川県で行う保養に参加すると聞いていたので、九州や四国で集めてきた野菜や果物などをお届させてもらいました。
年末など自分自身も時間がある時は、お手伝いなどに関わらせてもらう事があるのですが、昨年も被災地でバタバタしていた事もあり、最近では色々と協力出来ていない為、せめてと思い食材の支援をさせてもらいました。 こうして自分自身が出来る事で関われる環境に感謝です。
”拠点探し@琵琶湖”
”頼れる仲間@滋賀”
”新しいつながり@滋賀”
”仮拠点決定@大津”
また一昨年からずっと頭の片隅で考えていた拠点問題。これまで各地の災害が起きる度に移動し、次の被災地に移動を繰り返していた遊牧民生活の様な支援スタイルでは、活動の限界を感じており、この数年拠点を設けたいと考えていました。
西日本を中心に毎年のように起きる水害。いつ何時起こるかわからない南海トラフ地震や首都直下型地震など、緊急支援に入りやすく、自分自身の被害を最小限に抑える為にはどこに拠点を置くべきか? 考えていた私が選んだ場所は滋賀でした。地図を広げ日本の中でだいたい真ん中の位置する滋賀県。県南の方に行けばそれほど雪の問題もない事を考えて、滋賀県の琵琶湖の南東辺りなんかはどうかな?と思いながら、昨年からうろちょろしていました。
またどんな拠点が必要だろうか?災害支援とコミュニティーをどのようにして繋げる事が出来るのか? 過去の災害地で滞在しながら支援活動を行ってきたコトで見えた、地域のコミュニティーの大切さ。せっかく拠点を設けるのであれば、地域の防災に役立つ場所にしたいと考えています。
そんな事を考えながら、今回滋賀に帰ってきてきた仲間(紀伊半島水害で出会った)の元に逢いに行き拠点探しのお話をしたら、ふっと空き家を借りれるお話になりました。感謝。
これまで各地で出会った仲間たちの協力があり、今後の活動に繋がっている事を感じる事が多くなっている現在。改めて仲間たちの存在に感謝です。いつもありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。
紀伊半島大水害・・・2011年8月25日に発生した12号。発生後徐々に発達しながら北上し、四国地方へ上陸。その後も速度を速めることなくほぼ真北へと進路を取り、 中国地方を縦断し 日本海に抜けた。台風が大型で動きが遅かったため長時間にわたり周辺の非常に湿った空気が流れ込み、西日本から北日本にかけての広い範囲で大雨となった。中でも紀伊半島(和歌山県・奈良県・三重県)に被害が集中した。
tom
関西の仲間たち@茨木ベース
関西の仲間たち@茨木ベース
”朝礼@茨木ベース”
”作業現場@茨木”
大阪の茨木では、現在も仲間たちが関西を中心に仲間を集めて活動を継続しています。
6月18日に起きた大阪北部地震やその後の台風被害で、沢山の屋根など被害をうけた大阪でしたが、一般のボランティアでは対応出来ない案件が多く、当初は厳しい環境が広がっていました。
しかし、支援仲間でもあるレスキューアシストの武ちゃんを中心に大阪は茨城市に拠点を持ち、ボランティアの受け入れ、スキルアップ、講習会、新しい仕組み作りなどを行いながら、一軒一軒対応してきました。
高速道路の無料化が切れたこの週末にも10人以上超えるボランティアの方の姿が集まり、被災者のニーズに対応していました。
屋根案件が多く、危険を伴う活動が多い地震災害の支援活動。コーディネートを行うメンバーの心情は本当に不安で怖い気持ちでいっぱいだと思います。 何かあれば、大きな事故につながる高所作業だけに、出来ればやりたくない気持ちでいっぱいだと思います。 それでも誰かがやらないといけないコトだと考え、彼らは自ら梯子を使い屋根に登っては雨漏りする屋根にブルーシートをかけてくれています。感謝。
彼らの勇気ある活動に感謝とエールを送りたいと思いますが、どうかボランティアではなく、どうにか対応出来る仕組みはないかと考えてしまいます。
tom