前原土武(トム吉)の災害支援活動ブログ パート2

日本各地で起こる自然災害の復旧・復興の姿を綴るブログ

帰路@宇和島

帰路@宇和島

山口~松山 

山口~愛媛へ移動フェリー 

作業部会@宇和島市

宇和島市作業部会

愛媛県域会議

県域の情報共有会議

  

 広島~山口を数日間移動しながら、お世話になっている方々とお会いし色々なお話を済ませ、数日振りに宇和島

 月に1,2回程度で集まり会議を行っている宇和島市の作業部会。役場の方やJA、支援団体など作業を中心に関わる個人団体が集まり情報共有を行う会議。12月から定期的に行っており、団体の受け入れや課題、ニーズの共有などを行ったりしてます。

  また、夕方からは月一くらいの頻度で行われている県域の情報共有会議もありました。大洲市西予市宇和島市八幡浜市の行政や社協NPOなどが集まり、情報共有を行う。今回は、発災からこれまでを振り返り、何が出来て何が出来なかったかを約2時間半にかけました。

  団体間を越え、情報を共有し課題解決に結びつける事、顔の見える関係性を強化し対応出来る環境を整える。行った事をしっかり反省し、次へつなぐこと。経験を未経験の地域に繋ぐことが大切だと思いました。

作業風景190318-1

作業風景1903318-2

床下の土砂出し

作業風景190318-3園地被害

 

三月いっぱいで撤退を考えている私たち災害NGO結では、

宇和島市での作業に関しては、少しずつ地元支援者に引き継いでいます。

外部支援者でもある私たちが、いつまでも支援を行っているのではなく、地元の支援者たちが中心に支援を行っていく事で、息の長い支援が出来る体制になると考えています。

家屋系のニーズから園地や倉庫といった農家ニーズまで、宇和島市では災害により生まれた課題は様々です。住民に寄り添い支援を行うモノがどこまで行うのか、考え進んでいかなくてはならない災害支援。 難しい決断を一つひとつ考えながら、仲間と話し合いながら行っていって欲しいと思います。

 自分たちだけではなく、外部の支援者を受け入れる仕組みを作りつつ、息の長い支援体制が整う用にもう少し側にいてサポートしていきたいと思います。

 

tom

 

伝える活動@萩市

伝える活動@萩市

宇部市での災害講座

宇部市で行われてた講座

 

 5年前の萩市を襲った豪雨災害の支援活動で出会った宇部市のH氏が災害支援の講座を行うという事を聞いたので、ちょいと宇部市に足を運びました。

 行政職員でありながらも、気象予報士であり、NPO団体のメンバーでもありと色々な顔を持っているH氏。被災地でお逢いし情報共有する事も多くあります。

 20年前に起きた高潮災害で大きな被害を受けた宇部市。地域にある大学生を巻き込みながら防災力を高める活動を行っていました。 

 それにしてもこうして防災に意識ある方が身近にいると、丁寧な講座や企画をする事が出来るのだと感じました。

 災害とは?被害とは?支援とは?災害ボランティアとは?災害ボランティアセンターとは?協働とは?一つ1つのテーマ―にして計5回の講座を行い1つ一つを掘り下げている事はH氏や災害看護のメンバーが地域に居るから出来る事なのだと思います。

萩市

萩の偉人たち

伝える活動@萩

伝える活動@萩市

 

 秋から春にかけては災害の多い夏の時期に出来ない。講座などでの講演(伝える活動)の依頼を受ける事にしています。

 5年前の支援活動での縁もあり、萩市社会福祉協議会からこれまでに二回ほどお声かけてもらいました。

 今回は、1時間半ほど「災害地からの学び~被災者の思いと支援者の思い~」と題してお話させてもらった後、午後からは「災害時の知恵」としてWS(ワークショップ)を行いました。

 約50人ほどの方が参加してくれていましたが、どこまで伝わっただろうか?主催の萩市社会福祉協議会の目的につながっただろうか?WSはもう少し詳細にして分かりやすい様にすればよかったな。など講演させてもらい感じる事が多くありました。

 被災地の現場で過去の経験を伝える事も勿論大切だけれど、被災地を知らない方に向け、少しでも感じてもらえるように話して、作り手としてもっともっと工夫出来る様に考えていきたいと思います。

 そういう意味では、こうしてお声かけしてもらい貴重な経験をさせてもらっている事に毎回感謝です。

 

tom  

 

 

坂町に行く

坂町へ行く

 

DRT-JAPAN広島①

坂町社協と連携して活動を行うDRT-JAPAN広島

DRT-JAPAN広島②

床下案件など特集ニーズを対応します。

解体が進む小屋浦地区

解体作業が進みあちらこちらで空き地が目立つ

 

 広島県内でも今回の豪雨災害で被害の大きかった坂町。発災から八ヶ月が経った現在でも支援活動が継続的に行われている。 発災後に初めて坂町に足を踏み入れた時は、土砂の多さにどうなるのだろうかと思ったのだが、行政をはじめ沢山の支援者などが関わったことであの大量の土砂が無くなりました。

  しかし、被害の大きかった地域では、再建にはまだまだ時間がかかる様で、全壊、大規模半壊といった被害の大きかった家屋の解体が行わている際中です。

 仮設住宅、借り上げ仮設など地域から離れて生活している方が居る中、地域に残り生活を行っている方も、解体が進む事で空き地が増えていく風景を見て寂しさを感じている様です。

坂町社協

坂町社協のジャンバーも販売している様子

20190320181505

 

 発災直後、作業など一過性のニーズが多い被災地の状況から少しずつ個人個人に合わせてた多様性のニーズに変わっていく被災地。 災害ゴミ、土砂が無くなっていく中、被災した住民、地域の課題は変化している様子でした。

 被災地の様子が変わっていく中、支援体制も変えていく必要があると考えています。初動や緊急期など外部支援者が多く集まる際に効果的な力を発揮しますが、長い支援が必要であり、多種多様に対応する為にはどうしても地元の力が欠かせないと思います。

 坂町では、社会福祉協議会を中心に毎週のように支援活動が行われています。また、一般のボランティアが対応出来ない案件などは、連携しているDRT-JAPAN広島などにおつなぎし対応してもらっています。 

 色々な災害ボランティアセンターを見ているとやはり支援の三原則の大切さを感じます。

 

【支援活動の三原則】

  • 被災者中心・・・誰の為の支援活動を行うのか?なんの為に行うのか?支援活動の原点
  • 地元主体・・・長い復興のフェーズの事を考え、息の長い支援を行う為にも地元の方を主体に支援活動を行う。 
  • 協働・・・対応出来な事は他団体に繋ぎ対応するなどして連携し、少しでも課題解決に結びつける事の出来る体制を作る。

 

小屋浦小学校

グランドで走り周る子ども達の姿

 

 まだまだ息の長い支援が必要な坂町ですが、少しずつではありますが、前に進んでいます。校舎の二階の高さまでうず高く積まれた土砂が無くなり、現在では校庭のグランドで子ども達が元気に走り回る姿が見れました。川上から流れてきたモノで橋が壊れて渡れなかった橋が、車両で渡れる様になっていました。 ちょっとずつかもしれませんが、確実に一歩ずつ前に進んでいる被災地。 これからも関心を持ち足を運び、感じた事をお伝えしていきたいと思います。

 

ブルーフロール②ブルーフロール①

 

 広島市内にお店を構え、各地(熊本地震~九州北部豪雨~西日本豪雨)の災害地に足を運び、被災者や支援者達に冷たいコーヒーなどソフト面の支援を行ってくれる支援仲間のリトルツイッター。 以前のお店を閉店し新しく体制を変えてお店を始めたと聞いたので、足を運びました。四階でなかなか人が来ないのかなと感じましたが、お洒落で一度来ると長居してしまうような雰囲気があり、常連さんには気に入る場所なんだろうと思いました。 

 災害地にばかりいるのではなく、時間のある時は仲間たちの場や興味のある場所に足を運びたいと思います。

 広島市内にあるシルバーアクセサリー屋Beija Flor  興味ある方は一度足を運んでみてはどうですか?

 

tom

宇和島市の支援の今

宇和島市の支援の今

 

崩れた園地

崩れた園地

園地の土砂出し作業

土砂のけ作業

 

吉田町で大小2000ヵ所以上の場所で土砂が崩れています。 中でも産業の中心でもあるみかん園地も沢山崩れています。大規模な土砂崩れは、今後行政の補助事業で復旧していく事になっていますが、小さなヵ所によっては、農家の方が個人的に土砂が流れないようにと、作業を行っています。

 発災から復旧作業を行っている中、温州みかんをはじめポンカン、デコポン、はるかといった時期をずらして収穫出来る柑橘系の収穫の時期に入った吉田町の農家。 三月には河内晩柑の収穫が終わるとの事、そこからもう少しずつゆとりが出てきた、農家から園地の事、倉庫の片付けなどのニーズが上がって来るのではないかという声が関係者達から聞こえてきます。

 

キューイ剥き

無農薬キューイの皮剥き作業

つながるみかんジュース

ポンカンとみかんのミックスジュース

 

 そんな宇和島市での支援活動を行う中で、色々な人やモノに出会います。

無農薬でキューイを作っている農家の方。 災害で業務用冷蔵庫が被災してしまい、購入したのだが、納品は先日になってしまった事もあり、保管体制が整わなかった為、商品のキューイを管理出来る環境で保管出来なかった為、商品としては使えないと言っていました。 

 せっかく収穫した美味しいキューイをどうにかしたいと思い、3キャリー分譲ってもらい、近い内にジャムに加工して商品にしたいと思います。

 また先日作ったジュースも出会いがあって作りました。1月に収穫して商品にならない小ぶりなモノや傷付いたポンカンを中心に絞りました。

  被災地には、色々なモノがある。出会ったそのモノをどのようにするのか?関わったモノをどう扱うのか?どう繋げるのか? 色々な角度で考える事が何よりも大切なのだと思います。

  因みに 災害NGO結として、今後は被災地からは出会いなどで得たものを商品にして買い物でちょこっと社会を変えるきっかけの販売部門としてSocil Shop 半人前を立ち上げました。 興味のある方はチェックしてみてください。

tom  

 

災害支援フォーラム@倉敷市

災害支援フォーラム@倉敷市

災害支援フォーラム@倉敷市

災害支援フォーラム@倉敷市

 3/12の本日は岡山県倉敷市に足を運んでいます。

 平成30年7月豪雨の発災から約8ヶ月が経過した現在の段階で災害支援フォーラム「災害支援の協同のあり方と社協の役割について」を開催するとお誘いがあったので少し聞きにきました。

 発災直後に現地に入り、支援活動の体制を作り上げる時に少しだけ関わらさせてもらった「倉敷災害ボランティアセンター」。 発災直後の際に感じた”受援力”の高さが今回のフォーラムでも感じる場面が多くありました。

 午前中に災害ボランティアセンターを通しての簡単な振り返りと今回の目的の説明があり、午後からは4つの分科会に分かれての時間になり、最後は本日のフォーラムを振り返りを行う工程になっていました。

 単刀直入に意見を言うと、いいフォーラムでした。何より改めて倉敷市社会福祉協議会の良さが伝わったフォーラムだったと思います。

 

災害支援フォーラム@倉敷市

最後はみんで「バディー!オー!」

 

 発災直後から色々な支援団体や企業、地元の方々のご協力を受け入れながら災害ボランティアセンターの体制を整えた倉敷市社協。 倉敷市に顔を出す度に体制がよくなって来たり、新しい団体が入ってきたりと目的の為に支援を受け入れていたと思います。

 

フォーラムの中でも度々、支援の三原則と題して「被災者中心・地元主体・協働」活動の目的がずれないように。何のために災害ボランティアセンターを行うのか?誰の為に協働で活動を進めるのか?を終始お話をしていたと思います。

 実際に発災直後から「困っている人がいれば、やりゃあええが」「自分たちだけでは何も出来んけー」「被災者の為になるならやってもらおうやー」「よろしくお願いします」と支援に入った団体にとって支援しがいのある言葉が聞こえた災害ボランティアセンターだったと思います。

 

 また、今回8ヶ月というタイミングでフォーラムを行い、復旧期の振り返り(中間報告)を行ったのも、本当によかったと思います。 これからまだまだ続く復興への道。外部支援をうまく受け入れて進んできたこれまでですが、少しずつ地元へバトンを渡しながら、岡山県内の支援者、倉敷市の支援者、隣近所、被災者同士の助け合いなど、支え合う距離感の必要性も変わってきます。

 発災からこれまでを沢山の方々と振り返りながら、これまでの歩みを整理する事、個人個人が行ってきた事を共通認識にすることが、これから先長い復興への道には大きな感覚につながると思います。

 

 災害NGO結として、過去の災害地で小さいなりに振り返りや今後のロードマップを作る為のWSを被災した地元の方々と共におこなった事はありますが、今回倉敷市にお邪魔して改めて、沢山の方と一緒に振り返る事の大切さを再認識しました。 感謝。

宇和島にどのように持って帰れるか?今後の支援活動にどのように結び付けるか、考える材料になりました。

 

め組のぱぱらと旅商人の亮章

話変わり、帰りの際には、宇和島から持ってきたみかんとキューイを倉敷市で活動を続けている支援仲間のめ組のパパラと旅商人の亮章にお渡しさせてもらいました。 因みんい朝イチで真備町に行って、先日益城町から持ってきたサツマイモを旅商人の拠点にお届けしていきました。 

 現場で頑張っている支援者をこれからも後方から支援出来る人でありたいと思います。

 

tom

 

スイッチが入ったあの日

スイッチが入ったあの日

石巻市の夕日

この時期になるとメディアを始めFacebookなどネットの中でも、東北の事が目に飛び込んで来る。 忘れる事が出来ないあの日の事なのに、こんなにも目に付くとなんて表現していいのかわからなくなる。

 

 あの日から今日で八年。亡くなられた方へ哀悼の意を捧げるとともに、被災された方に心よりお見舞い申し上げます。

 

被災した方々にとって忘れたくても忘れられない日であり、あの日から沢山の方の人生が変わった日でもあると思います。そして、被災地に駆け付ける東北の支援仲間たちの姿を見て、力強さを感じます。

 

東北と縁もゆかりもない沖縄出身の私は2010年にたまたま国内に帰ってきていて、たまたま関東に住み仕事をしており、たまたま長野県に居て揺れを感じ、たまたまあの映像がテレビに映し出された。

 その瞬間、心のスイッチが入ったのを今でも覚えている。

そしてあの日からやったことない、右も左もわからない支援活動が始まった。

そして試行錯誤をしながら毎年北に南に走り周り活動を続けている。

そして今もその活動が生業になり続けている。勿論、満足した支援活動など一度もない。

 

出来るからやる!出来ないからやらない!と何かを始める時に自分自身の経験を中心に判断する人がいる。色々な人がいてこの世界が周っているので、そういう考えもありだと思うが、自分自身の場合は、”自分の心に正直に生きる”を大切にしている。

 

感じるか感じないか?始めるか始めないか?聞くか聞かないか?話すか話さないか?辞めるか辞めないか?寝るか寝ないか?起きるか起きないか?自分事か自分事じゃないか?やるかやらないか?生きている上で何かを判断する際には、自分自身の頭(心)で考え決断しスイッチを入れるか入れないを判断している。

 

東日本大震災から始まった私のこの活動。これからも自分の心に正直に生きていきたいと思う。毎年のように試行錯誤を繰り返しながら、一つとして同じ被災地がない環境の中、活動を続けています。そして、きっと今年も形を変え被災地に足を運ぶのだと思う。

 

あの日の今日があったから、沢山の仲間と出会い。沢山の経験を積み、沢山の事を学びを得た。聞こえが悪いかもしれないが、あの日に感謝しながらも、未来の為に何が出来るか考え、これからも備えていきたいと思う。

 

当たり前のモノなど無いこと。便利は不便だと言う事。弱いは強いと言う事。器用は不器用と言う事など沢山の事を気付くきっかけに繋がりました。

新しい世界を気付かせてもらったこの日に感謝。だからこそ、これからも大切に伝えていきたい。

 

tom

 

北海道胆振東部地震の支援活動を振り返り

 2018年の振り返りで最後に触れるのは、9月には発生した北海道胆振東部地震の支援の振り返り。20代後半に北海道で生活を行っていた事もあり、深くは関われないけれど状況の把握や物資の支援など出来る事はないかと考え、この数年西日本での活動が中心になっていましたが、四国から約1700㎞ほど仙台市まで移動しフェリーで北海道入りをし約10日ほど支援活動に入りました。

北海道胆振東部地震の支援活動を振り返り

北海道新聞

北海道新聞の見出し

厚真町の被害

いくつもの大地に亀裂が入っている(厚真町

むかわ町の被害

倒壊した建物(むかわ町

安平町の被害の様子

レンガの建物などは被害が出来た(安平町) やんじーによる炊き出し

熊本地震でも活動していたチームやんじーの炊き出し

バイクを使い状況把握

バイクを使い3町の状況をざっくり周る

 

 冒頭にも触れたように2015年の北関東・東北豪雨で被害を受けた常総市での活動以来、久し振りの活動になりました。

 四国~関東まで自力でハイエースを運転し、東京で仲間と合流し運転してもらい一日で約1700㎞移動するというハードなアクセスになりました。

 6日に地震が発生し物資の準備や移動などもあり8日に北海道入りを行いました。

苫小牧港から約1時間もかからないむかわ町厚真町、安平町に被害が集中している事もあり、むかわ町へ移動を開始し被害状況の把握に努める事にしました。

 まずは水や食料の確保が難しいのではと考えて、本州から積んできた物資をむかわ町で炊き出し支援を行っているチームやんじーにお渡しさせてもらい、むかわ町厚真町、安平町の被害状況の把握をバイクを使い開始しました。

北海道胆振東部地震・・・2018年9月6日3時7分 に、北海道胆振地方中東部を震源として発生した地震地震の規模はM 6.7、震源の深さは37 km。最大震度は、震度階級で最も高い震度7、北海道では初めて観測された  

 

 

いくつもの山が崩れた

土砂崩れに遭われた地域では捜索活動が続く

被害の大きな地域もいつか

被害の大きかった地域では建物が全壊

倒壊した無数のお墓

いくつもの墓石が倒壊

 

 むかわ町、安平町も被害はありましたが、山間部の崩落などの被害などメディアに取り上げられた厚真町は家屋被害も多く、また水などインフラの回復が遅れる見込みとの情報もあり、厚真町を中心に支援活動を行う事を決め、本格的な被害状況の把握を行いました。

現地調査

OPEN JAPANJAOAD支援Pのメンバーと合流し情報共有

 

また過去の災害地で共に支援活動を行った団体や関係機関とも合流し情報共有を行ったり、災害ボランティアセンターの運営サポートを行ったりした。

災害NGO結として北海道胆振東部地震の支援で行った事】

  • 被災地の状況把握(情報収集)
  • 支援団体並びに関係機関と情報共有
  • 物資支援
  • 厚真町災害ボランティアセンターの運営サポート(ポスティング・マッピング
  • テクニカルボランティアへの情報提供
JVOADとは、被災者支援の「漏れ・抜け・落ち・ムラ」を防ぎ、地域ニーズに合った支援活動を促進する全国災害ボランティア支援団体ネットワーク

発達障害者への支援

支援学級を使っての預かり支援(厚真町

厚真町でMTG

支援団体と情報共有(厚真町

 

 緊急期の状況の中で情報共有を行った事が、課題解決に結び付いた事もありました。

インフラが整っていない中、余震が続いており、障害を抱えたお子さんを抱えたご家族の負担が大きくなっているという課題が見つかり、札幌市に拠点がある「ホップ障害者地域生活支援センター」の協力で、小学校の教室をお借りし発達障害のお子さん達を約4時間ほどお預かりし、片付けなどを行う時間、少しだけゆっくりする時間を作れる様にと預かり保育的な支援が出来た事があります。今回、情報共有を行う事で見えてきた課題は、どこの被災地でも同様だと思います。学校が再開するまで、避難生活が続く被災地のお子さん達がいるご家族にとっては、大きな課題なのではないでしょうか?

 また、災害で一時行政サービスの機能が止まった事で、生まれた課題を一時的に近隣の支援で対応する事の大切さ。自助の補助を共助でサポートする事は、情報共有をすることで繋げる可能性が広がると思います。

 

厚真町のポスティング・マッピング

全戸訪問にポスティング・地図へのマッチング(厚真町災害ボランティアセンター)

家屋内の被害

家屋内の被害の様子(厚真町

 

大坂北部地震と同様に熊本地震と比べて、被災地を走っていても、建物被害の様子が見受けられない家屋が多かった。雪が降る北海道だからか、建物構造上、瓦も塀見当たらなく地震には強い作りなのかもしれない。しかし、表向きは被害が無くても建物の中で家具や荷物が散乱しており、片付けには人手が必要なのではないだろうか?

また、震源地の厚真町では、水道などのインフラが不通になっているけれど、避難所に避難している方の数と全世帯の数を見比べた時に開きがあり、在宅避難している方が多いのではないだろうかと予測された。

 その様な在宅避難を行っている方に限り、災害ボランティアセンターのお知らせが届いていないケースも考えられる為、厚真町災害ボランティアセンターでは、全戸訪問を行う事になりました。自宅に訪れて災害ボランティアセンターのチラシを配布しつつ、ニーズや現在の状況などを簡単把握するポスティング作業。その後の活動を行った新着状況を地図の上に落とし今後の支援につなげれる様に、支援の穴にならないようと可視化する為にマッピング作業も同時に行いました。

被災した牛小屋

被災した牛小屋(厚真町

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農機具などの被害も多々

 

また、全戸訪問のポスティングと並行しバイクを使い、現地を周りながら特殊案件(テクニカルボランティア)で対応出来る案件などを割り出し、その後本格的にテクニカルボランティアの動きが活発的になった時用のニーズ調査を行いました。

 現地に滞在し走り周り見えてきた事の一つに農家などの被害があり、関節的に産業被害が広がっていく流れが見えました。

 9月に起きた地震ですが、時間が経てもいやでも雪が降り始める北海道。倉庫や小屋が被災した農家にとって家畜や農機具をどのようにして保管するのか、大きな問題だと思います。

災害と把握

災害と把握

災害支援コーディネート

災害支援コーディネーターとは

 

あくまでも自説ですが、災害とは?状況把握とは?コーディネートとは?簡単にまとめてみました。

 北海道~九州と弓形に長く、四季折々の自然豊かな国日本。場所が変われば地域の環境も変わる。そこに自然の力が加わり被害をもたらした時、それを自然災害と呼んでいる。

 災害NGO結では、これまでの災害地の経験から、その災害に対して、被害の件数、状況など把握すると同時に支援につながる地域の力、資源などを把握する事も重要だと考えています。

 ネイチャーガイドのチームがいたり、農家が多いのも北海道ならではの環境なのだと思います。その環境が被害になったり、支援の力になったりと、災害を通して変化していく中で、現場から得た情報を使い、どのように結び付けていくのか、災害支援のコーディネートの重要性があるのだと思います。

 今後の支援活動の為にも、様々な経験値を積み、色々なイマジネーションを持って被災地を走り周りたいと思います。沢山の支援者に結び付ける事が、その後の被災者、被災地の復旧や復興に結び付くと信じているから。

 

tom