前原土武(トム吉)の災害支援活動ブログ パート2

日本各地で起こる自然災害の復旧・復興の姿を綴るブログ

ちょくちょく訪問@倉敷

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”訪問@Nセン”

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”再開したお店Felice”

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"久し振りの再会"

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”防災の件で打ち合わせ”

 

 東京に用事があり、移動がてらちょいと倉敷市に立ち寄ることにしました。

四月から災害ボランティアセンターの体制も変わり、登録型になり拠点も移動したという事もあり、ちょいとご挨拶。

 発災直後から現場で頑張ってきた支援仲間にも連絡し、お昼を食べながらお話をしました。

 

 災害支援に関わる方の中には、大きな組織から個人の様にフットワークの軽いチームまでさまざまです。

始まりは、災害ボランティアセンターを通して参加したメンバーでも、長く滞在をし始め、その後住民票を移し岡山NPOセンターの職員になったメンバーもいます。定期的に自分の仕事を行いながら、活動を続けている人もいたりと、被災地との関わり方は色々です。

 色々な出会いの中で、活動を続けてきたメンバー達は、各々でいろんなことを決断し選んできたこの数ヶ月だったのだと思う。 この数ヶ月で色々な事を学びつつ、沢山の経験を積んできた彼らは、以前とは比べて色んなモノの見方が出来る様になっているだろうし、色々な考え方をするきっかけを得た事も多かったと思います。

 

 そんな彼らとお話をしていると本当に凄いメンバーだなっと思います。

 

少し距離はあるかもしれませんが、そんな彼らとの出会い、関係を大切にしていきたいと思います。

 

tom

活動と旅の類似点

活動と旅の類似点

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"一昨年の被災地で頑張る仲間@日田市&朝倉市"

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”九州北部豪雨で出会った住民と仲間@阿蘇

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熊本地震で出会った地元の子育て支援団体@益城町

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紀伊半島で出会た仲間(当時中学生)”

 

2011年からこれまで私は被災地にいることが大半になっており、会議や打ち合わせ、講演など用事がない限りは各地の被災地に居た。

 他のかたには理解が難しいかもしれませんが、つまり東日本大震災からこれまで約8年ほど災害支援の活動のみを行ってきた人間です。 その点ではボランティアと呼ばれる支援者と少し異なるタイプなのかもしれません。

 2011年からかれこれ20ヵ所以上の被災地に出向き支援活動を行ってきましたが、支援活動を行う中で感じているコトの一つにこの活動は旅と同じ感覚があるという事。

 例えば被災地では、毎日の様に色々な方との出会いがあります。住民や支援者、支援団体など沢山の方とフラットの関係(利害関係のない)で出会い、つながる機会があります。また旅先の様に地域の食べ物や景色、文化といった一面と出会う場所でもあり、旅先と被災地の共通点には出会いがあります。勿論、あくまでも外部から入った支援者の目線です。

  

 災害支援を行っていると土砂出しや家屋のゴミ出し、炊き出しや避難所の作業を行っていると表面上は見えるかもしれないが、それを行う行為で沢山の出会いに結び付き、支援者、被災者の中で繋がりを感じる事が、その後の復興の一歩に繋がっていると思っています。災害以前には出会った事のない新しい沢山の出会いやきっかけを頂き、価値観が変わる事もしばしばあります。その価値観の変化が被災者にとって大切なモノになっているのだと思っています。

 

そんな出会いの縁をこれからも大切にしていきたいと思う。

 

tom

多言語支援の重要性

多言語支援の重要性

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 熊本地震の発生(本震)から今日で丸3年を迎えた熊本。 数日前から熊本入りしており、様々なフォーラムやシンポジウムが行われていたので、少しだけ顔を出してきました。

 その中でも近年、災害が起きた時に気になっている外国人の事をテーマにしているシンポジウムがあったので、半日お邪魔してきました。

 

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熊本市国際交流会館」では、熊本地震後、自主的に避難所を開設し熊本市内に住んでいる外国人の方が集まり、炊き出しや物資、語学支援などを行っていたそうです。

 会場では「つながり」をテーマに「小さなつながり」「大きなつながり」「広いつながり」を活動報告が行われていました。

  活動報告を聞きながら、改めて様々な方向から被災地を見る事が大切だと思いつつも、行政と同様に縦割りになっている事で発災直後には情報共有する事の難しさが見えたシンポジウムでした。

  • 「小さなつながり」(熊本地震経験プロジェクト
    当事者である被災した外国人のメンバーが自ら立ち上げ、日本特有でもある地震への恐怖や防災の大切さ、その後に分かった平時からの地域の方々とのつながりなど、経験をしたからこそ、この経験を周りにつなげて防災に役立てたいというお話
  • 「大きなつながり」(熊本市国際交流振興事業団
    今年から行い始めた総務省の多言語支援コーディネーター育成プロジェクトのお話や災害時多言語支援の重要性など、多文化共生の為の目線から他の市町村や県域、ブロックで顔の見える関係でつながる事が有事の際に多言語支援に結び付くお話
  • 「広いつながり」(くまもと災害ボランティア団体ネットワーク
    発災直後から始まった情報共有会議。その後通称「火の国会議」と名前が付き、現在も週1で会議を行っているKVOADからジャンルを超えてつながる事で、多種多様な支援に結びつけるきっかけに繋がる事や県外の支援者や企業、大学などと連携するきっかけになるというお話

 

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また活動報告を聞いた後はデスカッション・振り返りを行ったのですが、やはり平時の内から色々な情報を集める事が何よりも大切な事。またジャンルを超えて横のつながりをしっかり顔の見える関係にしておく事で、有事の際に情報共有を行えたり、事前の準備に繋がったりするのだと確信しました。

 日本では現在、少子化という人口減という大きな問題を抱えており、都心部や農家、漁業といった一次産業を行っている方、介護職など様々な面で人手不足が深刻化している。勿論、災害復興も同様です。東日本大震災を始め、各地で起こった被災地の復興には建築物の解体から建築まで沢山人の手が必要です。

 そんな中、最近メディアでもよく耳にする技能実習制度がある。外国人の受け入れし技能を移転するのが目的にしているが、もう一つの狙いは人手不足の為の、対策なのかもしれない。しかし、この制度は色々な方面から問題視する声も聞こえてきている。

 

外国人技能実習制度は、我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的

厚生労働省HPより引用)

  

有事の際は平時の社会の問題や課題が肥大化すると良く言われます。人手不足問題や外国人など語学や文化が異なった人種との共存も同時に問題になりかねません。

地震を経験した事ない外国人や日本語が読めない、話せない外国人など様々です。また文化によっては食生活や祈りや習慣といった問題もあります。

 ここ数年で、技能実習生や留学生など国内で大きく外国人を求めている流れがあります。実際、外国に数年いた私が日本に帰ってきた9年前ですら、外国人の姿が多くなったと感じるほどでした。沖縄出身で日本国内外を旅し色んな地域を歩いた私にとって、外国人が増える事に対してそれほど大きな問題だと感じていませんが、田舎や都会で生活している日本人の方が実際自分たちの身近な地域(田舎や都会)に外国人が住み、生活が始まったらコミュニケーションを取り共に理解し合いながら生活を行えるのかは疑問である。

 人手として受け入れるという事は、受け入れる外国人の文化も受け入れるという事だと思います。相手を知り、理解していなければ有事の際に共に助け合うのは難しいのだと思います。だからこそ、平時からお互いを知る事が大切。っという事で外国人など多文化かと交流に強い団体や関係機関とも今の内から顔の見える関係を気付き、連携出来る繋がりを作らないといけないと思いました。

 

 自治体国際化交流地域経済の活性化や多文化共生、人材育成といったあらゆる課題において国際的な視野に立った戦略・事業運営が不可欠であり、こうした自治体の国際化を支援するネットワーク

 

 

tom 

何より阿蘇が大好きだから。。。

何より阿蘇が大好きだから。。。

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”熊本城前にある加藤清正公の像”

 

私は毎年1,2回熊本に訪れるのだが、きっかけは2012年7月に起きた九州北部豪雨で阿蘇市に災害支援に入ってご縁だ。

 東日本大震災から始まった災害支援の活動だったので、2012年阿蘇市に入った時は今以上に経験も少なく、想い(パッション)と勢い(フットワーク)で現場を走り周りながら支援を行っていた気がする。実際に災害発生の翌日から被災地に入ったのだが、現地の社協や行政などとうまく対話しながら連携して活動とはほど遠い支援だった気がする。

 

 外部支援として入り、地元の支援者と仲良くなり、助けられながらも共に活動を行う事が出来たお陰で、約一年ほど阿蘇市で活動を行いました。

 仮設住宅に住んでいる方や地域の方とも交流を行うようになり、沢山の熊本の文化を教えてもらいました。支援が目的で滞在していたのですが、何よりも自分自身の中で長く滞在出来た理由の一つは、自然であり、阿蘇の景色でした。また食べ物や県民性が合ったのも一つの要因なのかもしれない。

 

◇九州北部豪雨の被害の写真→災害NGO結のFacebookページ

 

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”地元の支援仲間と作った家庭菜園には現在も沢山のお野菜が植わっていました。”

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”自宅にお邪魔するとお茶と一緒に漬物が出て来るのも阿蘇ならでは。”

 

 災害支援で知り合った住民、支援者とその後も定期的に顔を合わせていたのもあり、三年前の今日(4月14日)熊本地震の前震と呼ばれる震度7地震の情報が入った時は、知り合いの顔が浮かび茨城県常総市から熊本へと駆け付け支援活動に入る事にした。

 

熊本地震の発災直後のようす→災害NGO結のfacebook

 

 そして、そこから今日で三年。翌年には福岡県朝倉市で大きな水害が起きた事もあり、一時は離れる事もあったが、時間が出来る度に熊本でうろちょろしていた三年でした。 緊急期~復旧期~移行期と自分なりに被災地の課題を感じ、対応してきたつもりですが、時間が経過した今思い出したらあの時こうしてたらよかったのかな?あの時にもっとこうしていたらどうなっただろうか?など考えてしまう事が多くありました。 

 2012年の九州北部豪雨~2016年の熊本地震と熊本で起きた自然災害に対して、自分なりに向き合い寄り添ってきたつもりです。やったことで見えた事、行った事で感じた事、活動を通して毎回のように学び次の災害地への知見となり自分自身の活動の肥やしになっている。そう考えると支援に入ったつもりだったが逆に熊本から沢山のモノを頂いたのかもしれません。感謝。

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”外輪山から見た阿蘇五岳をバックにした阿蘇市の風景”

 熊本地震により九州北部豪雨で出会った知人も家屋に被害を受け、仮設住宅やみなし仮設などでの生活を送りながら、この三年間出来る事を行っていたのだろう。月日が流れるにつれ立場や関わり方も変化した仲間たち。顔を合わす機会も次第に減っていますが、あの時共に過ごした時間は大切な想い出であり、大切な経験です。

そうした縁をこれからも大切にしていきたいと思う。何よりも阿蘇が大好きだから、これからも何度も阿蘇に通いたいと思う。

 

tom

 

桜を見上げ考える

桜を見上げ考える

桜@西予市 桜@西予市 

桜@東京

桜@東京

桜@宇和島

桜@宇和島

 

 桜を見ると「日本だなぁ~」っと感じてしまう。沖縄出身の私にとって、以前から桜は身近な花ではなかった。因みに沖縄の桜は1月に散ってしまうので、この時期のお花見は本州の文化だと認識している。

 

  桜を身近に感じたのは、2010年日本に帰ってきて、あっちらこちらで桜が咲き乱れている景色を見て、日本ぽい景色だなと思ったのが始まりだった気がする。

 

 オセアニア~アジア~ヨーロッパ~中東と30~40ヵ国ほど、約3年間外国を旅していた時に、ふっと日本に帰りたいと考え一時帰国したのが9年前。数年間日本に滞在しアフリカに出発しようと思っていたのだが、東日本大震災が起きて気が付けば、毎年のように被災地を走り周る日々を過ごしている。 

 約3年ほど日本を離れていたから、ふっと桜を見た時に改めて日本を感じた瞬間だったなと桜を見る度に思い出す。

  

 沖縄を離れ日本を旅した事で沖縄を感じたように、日本を離れ外国を旅した事で日本を感じた。旅をしながらアウトドアと触れた事で便利を知ったし、災害支援に触れたことで当たり前のものなんてないと知った気がする。 旅をしたり、仕事を変えたり、色々な環境が変わる生活を続けてきた事が、自分自身の周りの環境や状況というモノを俯瞰的に見たり、感じる事を意識するようになった気がする。

 

 そんな自分は周りから時折、少し変わっていると言われる事が多い。

 

 今年も日本各地で当たり前のように咲いている桜。

この桜を見ながら色んな方が色んなことを感じているのだろうな。

昨年には想像していない環境になった方。

去年と同様に元の環境には戻れず同じ環境で見上げている方。

新しい環境に感謝をしながら過ごしている方などさまざまな方がいるのだろう。

 

 桜は何も変わらずただ自然の摂理で春になれば咲いているだけ、そこにいる私たちの取り巻く環境が変わっただけなのかもしれない。

 

きれいな桜を見上げながらそんなことを考える自分はやはりちょっと変わった日本人なのかもしれない。

2018年の災害支援を振り返り②

2018年の災害支援を振り返り②

2018年の被害地図

昨年起こった国内の災害

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大田市災害ボランティアセンター

 

 一年の活動報告を作成しているのあたり、2018年度の活動の写真を見ながら、振り返ってみても、この一年は本当に忙しい一年だったなと思う。

 2016年(熊本地震)2017年(九州北部豪雨)と2年連続で九州で支援活動を行っており、2018年上半期も朝倉市での活動を起点に活動していました。

2月に福井豪雪、4月に鳥取地震、6月に大阪北部地震、7月に西日本豪雨、9月に台風24号北海道胆振東部地震と豪雪、地震、台風、豪雨と日本列島各地で大規模災害に見舞われた一年でした。

 

茨木市内の様子

大阪北部地震茨木市

発災直後の真備

平成30年7月豪雨真備町

北海道新聞

北海道胆振東部地震

 

【2018年度の緊急支援を振り返り】

 

スタディツアー@熊本

【伝える活動】

伝える活動(2018年度)のブログの回

 

つながるみかんジュース

【販売部会】 

Social shop 半人前のブログの回

〇Social Shop半人前のFacebookこちら

 

茨木ベースの朝礼

テクニカルボランティアの講習会in倉敷市

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出来た事

  • 発災直後の復旧に講習会や勉強会を行う事が出来た。
  • 各地で他団体と連携し拠点を設ける事が出来た。
  • 有給スタッフを設けて活動の幅を広げる事が出来た。
  • 多い時には、三ヵ所で拠点も設ける事が出来た。
  • 事前に顔の見える関係作りが出来ていた事もあり、場所に寄っては連携がスムーズに取れた。
  • 仲間の協力を頂き拠点を設けれた為、独自に支援者を募れた。

 

バイクで調査②

愛媛県域会議

吉田ベース朝礼

出来なかった事

  • 被害規模が広範囲だったこともあり、現場を周れなかった地域があった。
  • 三者連携を試みたが一部で関係性を築くに時間がかかり、スムーズな支援に結び付ける事が出来なかった。
  • 有給スタッフに的確な指示や方向性を示す事が出来なかった。
  • 中長期の支援を考え、地元支援の担い手育成(発掘)が困難だった。
  • 地元支援者の育成が困難だった為、移行期にうまくつなぐことが難しかった。

 

毎年の様に各地で起こる自然災害。これまでに試行錯誤しながらも20ヵ所以上の被災地で支援活動を行ってきましたが、これまで一度ども満足いった支援活動を行えた感覚はなく、毎回のように反省と課題を感じながら被災地を離れています。また時間が発災直後には見えなかった潜在的な課題など、時間の経過と共に見えてきたりする為、時間がある時は過去の被災地に足を運び、被災地の様子などを感じる様にしています。

昨年の支援活動で得た気付きを、未来に繋げていく事が被害を受けた住民や地域の方の復興への力にも変わっていくと思っています。また私たち人間は過去を変える事は出来ないが、未来を変える事が出来る信じています。出来なかった事を出来るようにする為にも、平時の今準備出来る事から始めていきたいと思います。

  これからも応援よろしくお願いします。

 

tom

 

今後の宇和島の支援

今後の宇和島市の支援

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発災から9ヶ月を経過した 各地の被災地ですが、被災地の環境や支援者の状態なども変化しています。

 年度末という事もあり災害従事車両(高速道路無料免除)が三月末で終了予定もあり、九州(熊本、朝倉)、三重県、関東など日本各地から宇和島市に足を運んでくれました。

 3月に入ってからは、基本現場の調整などは行わず、宇和島市に移り住んだ「NPOナナの森」のT氏の協力を頂き、活動を継続しています。 

  

NPOナナの森とは、「防災活動」と「災害支援活動」を中心に活動を行っている宇和島の地元団体。熊本地震、平成30年7月九州北部豪雨と過去の災害地での支援活動の経験から長期的な支援が必要と考え、2018年12月に家族と宇和島市に住所を移し、本格的に作業系活動を行っている団体。

NPOナナの森のHP→https://7nananomori.wixsite.com/nponananomori

 

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 3月末にはうわじまグランマのメンバーが主催のイベントもあり、発災直後から定期的に宇和島に駆け付けてくれた支援仲間が、関東~三重県~九州とあっちこっちから駆け付けてくれました。

 イベントの前日には、これまでお世話になっていた拠点の片付けにも協力してもらい、来た時よりも美しくを目指しって宿泊場所、活動拠点の片付けを行いました。

 久し振りに30人近くの支援者が集まった3月の最終末、改めてマンパワーの大切さ、可能性など感じました。 発災から9ヶ月近くになった今もこうして四国地区愛媛県宇和島市に足を運んでくれる仲間たちに感謝。

 

うわじまグランマとは、西日本豪雨をきっかけに立ち上がった宇和島市の地元の団体。発災直後は物資、炊き出しといった支援を中心に行っており、今後は長期的な支援を考え、コミュニティー支援、子ども支援、防災など他の支援のジャンルを視野に入れて活動を行い始めています。また活動を通して中間支援を行う団体が不在で必要不可欠と気付き、同時に中間支援を行う団体に発展していく方向で進めている。

 

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移行期を気にして年が変わた2019年1月から宇和島に滞在する時間を減らしながら、他の被災地や「伝える活動」(講演)を行ってきました。(今後地元主体で支援活動を行う為にも、少しずつ外部支援者の存在を薄くしていく事が必要だと考えています。)

 今後も長い支援が必要な宇和島市。活動の主体を地元に移行していく事でこれからも駆け付けてくれる外部支援者を受け入れ、今後のニーズに対応出来る状況につながると思います。しかし、残念ながら月日が流れるにつれて社会(世間)の感心が減っていきます。また、遠方に足を運ぶ事が難しいなる事(制度や資金など)を考えると今後の被災地の復興への道は厳しいものです。 これからも災害NGO結は、定期的に宇和島市に足を運び、支援者(団体)を通して被災地を応援していきたいと思います。

 

※拠点であった吉田ベースは片付けましたが、継続的に地元支援団体「NPOナナの森」が、同じ場所で支援者を受け入れ支援活動を引き続き行っています。可能な方、興味のある方は是非、ご連絡してみてください。

  

 

移行期の重要性

 

 毎年のように起きる日本各地での自然災害。そしてそれにより生まれる被災地。そしてそこで立ち上がり、試行錯誤をしながらも継続的に活動を続けている支援者たち。出来るからやるから必要だから行う、そして続ける為に考える行動していく。

 

発災直後、被害の状況を把握し直接支援を行いながら、被災地の変化を意識し考え、移り替わっていく状況に合わせ支援の幅、方向性を行いつつ、地元の支援者(団体)を発掘し育成し、自立を促しつつ距離感を持ってサポートする。

 これからも日本各地で起こる被災地に「虫の目、鳥の目、魚の目」を意識しながら、被災地と共に支援活動を行っていきたいと思います。

 

「虫の目、鳥の目、魚の目」とは、課題や問題など一つの事を一方向から見て判断するのではなく、様々な角度から見て、感じて、考える事でそのモノの本質や隠れた課題、その後の問題になる要素を導く力につながる視点。
  • 虫の目・・・ターゲット(部分)を絞り虫のように低い位置に意識し「狭く深い」を心掛ける視点
  • 鳥の目・・・鳥のように高いところから全体像を把握する俯瞰的な視点
  • 魚の目・・・ さかなのように、流れ(時間)を考え、その後どの方向に流れていくのかを判断する俯瞰的な目線

tom